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ベネディクトゥスは、彼のもとに物資を運ぶロマヌス以外にはほとんど会うことがありませんでしたが、そうした隠修士としての厳格な姿勢がいつしか人々の噂となり、ある修道院の空席になった院長に彼を迎えたい、という声が高まりました。 「わたしが理想とする修行方針に、あなたたちが従ってくれるとは思えない」 ベネディクトゥスは、彼を誘いに来た者にそう言って拒んでいましたが、その修道院の修道士たちが「なにがあってもあなたの命令に絶対服従しますから、どうか院長になってください」と懇願し続けたので、最終的には渋々ながら引き受けました。 ところが、あらかじめベネディクトゥスが何度も念を押していたにもかかわらず、彼が定めた厳格な規則に修道士たちはすぐに音を上げ、自分たちが懇願して迎え入れたはずの修道院長を、なんとか排除したいと考えるようになります。
修道士たちは、ぶどう酒の入った杯に毒を混ぜてベネディクトゥスに飲ませようとしたのです。彼らは本気でした。 毒入りのぶどう酒を飲む前、ベネディクトゥスが神に祈り十字を切ると、杯がまっぷたつに割れてしまいます。蒼褪めた顔になる修道士たちを見回し、彼は言いました。 「兄弟たち、わたしのことがそんなに邪魔なら、わたしはここを去りましょう」 ベネディクトゥスは修道院を去り、また荒れ野で独り修行を始めました。やがて、いくつもの奇跡を起こした彼はふたたび人々の評判となり、多くの弟子志願者が彼のもとに集まり、ベネディクトゥスは12の修道院を創設することになります。 その後も順風満帆ではなく、ベネディクトゥスの高まり続ける名声を妬み、一方的なライバル心を持つフロレンティウスという司祭がいました。フロレンティウスはベネディクトゥスを毒殺しようとしたり、ベネディクトゥスの修道院に若い女性7人を送り込んで全裸で踊らせて修道士たちを誘惑させたりしました。ベネディクトゥスは自分が修道院にいる限り、粘着司祭フロレンティウスからの執拗な攻撃が続くと考え、またしても修道院を去る決意をします。ベネディクトゥスの寂しげな背中が修道院から遠ざかるのを見ながら、フロレンティウスは拳を天に突き上げて快哉を叫びます。
「ようやくあの目ざわりなジジイを追い払えた。これからは、オレの時代だ!」 しかし、次の瞬間、不思議な力で建物が倒壊して彼は圧死しました。フロレンティウスの死でベネディクトゥスは呼び戻され、以後は平穏に暮らし、彼が創設したモンテ・カッシーノの修道院で西暦547年3月21日に、安らかに帰天しました。
実に見事なことだ。敬服するほかない。
ベネデイクトゥス修道士はそれだけ守護精霊に愛された人だったのだろう。
宗教者はこうでなければならない。
私はクリスチャンではないが宗教にはどれも守護精霊がいる。
仏教でいえば護法神だ。
それに類する働きはどの宗教でもあるだろう。
だから奇跡があるからといって唯一の正しい宗教なのだとかも判断の基準にはならない。本来はあって当たり前だからだ。
この話の悪司祭フロレンテイウスは建物の下敷きになり圧死した。
それもそうした精霊の働きだと思う。いわゆる天罰だ。
最近は「天罰」においても人命がどうこうと批判がましいことをいうが我々の価値基準が必ずしも通用する世界ばかりではない。
精精霊は異界のものたちだ。
彼らにしてみれば必ずしも「どういう悪人であれ、人の命より尊いものはない」などと思っているわけではない。
それは傲慢な思い込みだ。