「罪を憎んで犯罪者も憎む」
「憎む」はともかく、行いと人は分離できない。
基本的に百田氏の考えに私も近い。
行いと人を分離する。
それだったら善行を勧めても行った人は評価しないという立場も出てくる。
仏教的にはカルマ。行為こそが個々の人なのだ。
実際にカルマ(行為)と人を分離して真の反省も校正もできない。
私は死刑囚には基本的に我々と同等に主張できる権利はないと思う。
守られるべきもの、あるべきものは死刑囚の権利ではなく遇する側の人道の見地である。
制限されている死刑囚の権利だけを見て「かわいそう」と思うのは物事の断片を見ているだけの「断見」というものだ。
刑務所に慰問にも言ったことがあるが「かわいそう」という気持ちを持ったことはない。しまいには犯罪の自慢まで言うものもある。(勿論有期刑の人)
問題は死刑囚自身の権利の有無ではなく、あくまで人道的に社会がどう遇すべきかの議論であろう。