金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

身勝手の極み 人間失格

「甲府市の遠藤裕喜被告は19歳だった2021年10月、甲府市の住宅に侵入して夫婦を刃物で刺して殺害し住宅に火をつけた罪などに問われていました。 被告はきょうの判決を前にUTYの記者との面会に応じ、「生きていることがつらい」などと心境を語りました。 判決の3日前、UTYの記者が向かったのは甲府刑務所と同じ敷地内にある施設です。 グレーのスウェット姿で面会室に現れた男。 甲府市の夫婦二人を殺害したなどとされた事件当時19歳の被告です。 被告はUTYの記者との面会に応じました。 まず、記者が訪れた経緯を説明すると、被告はうなずきながら「はい」と返事をしました。 そして述べた言葉は。 被告:「生きていることがつらい」 記者の質問に左手を顎に当てながら淡々と答えた被告。 生きていることがつらいと話すその理由は被告の過去にあると言います。 記者:「何が辛いですか?」 被告:「養父との記憶。養父から罵倒されたこと」 記者:「ほかには?」 被告:「例えば母親のこととか。養父との再婚で母親が自分だけ別々の部屋にしたこと」 過去の経験を話すときは時折、涙を流す場面もありました。 しかし事件については… 被告:「よくわかりません」 こう述べるにとどめました。 」

 

この期に及んでも事件ではなく、自分の過去の体験しか考えられない被告。

やったことを考えれば少しも可愛そうじゃない。

身勝手の極みだ。

これじゃ更生はみこめないという判断になるだろうよ。

死刑になりたかったなら人を殺したり火をかけたりせずに勝手に自殺したらいい。

 

こういう者をさっさと殺しても意味はないと思う。

人を食い殺す狂暴な動物をして刑罰として殺すことに何も意味がないのと同じだ。

 

せめて反省の心がわいて罪の認識が出てくるまでは収監しておいたらいい。

それが彼の人間としてのけじめだ。

遠藤裕喜 

あなたはせめて人間になってしたことを悔いてから死になさい。