「古来、聖天浴油の大事な一点は浴油の温度にある?」というがそれって本当ですか?という質問があった。
確かにひとえに温度で成否が分かれるともいう。
それで一定温度に保つ電熱器を用いる方もあるとか。
でも私の考えは少し違います。
これは感応道交をしめすことなのだと思う。
いちいちさわって調整するまでもなく浴油の温度が拝んでいて、熱いか冷たいかわかるくらいでまで拝まないといけないのだと思う。
そのくらい拝んで天尊と心が一つであれば自ずとわかる。
実際に熱すぎれば頭が痛くなり、冷たければ寒気が走るくらいでないと本当に結果をもたらすまでには拝めない。
そう言う意味だと思っている。