昨日のお客様。精神医療関係のお仕事の方です。
おはなしでは普通の人より霊的なものに敏感だという。
霊狐さんにいわせると
「この人は後ろに女神さんがいる。少し離れてみている感じ。」
べったりじゃない。
神様はべったりはない、憑依霊じゃないから、
人の念の入った仏像などだとベッタリはある。それは実は人の念なのだ。
だけどこの神さまは弁才天とか吉祥天ではない。
日本の神様で水の女神。
聞けば何事も水の流れの様にすらすら行く。
だけど今とても困ったクライエントがあるという。
そういうのは直には助けない。
本人の修行にならない。
神霊とはそういうものだ。甘くない。
だから守護神がいても楽ばかりの人生にはならない。
こういうのは本人の修行課題、修行の邪魔になるからお前は手だししてはならぬぞと梓霊狐はいう。
それで法華経の常不軽菩薩品からクライエントの実相( 内在の仏 )を見つめるという話をさせていただいた。
人はだれかの犠牲になる必要はないという話もした。
水のせせらぎは言葉。
だからこの人は「言霊」を勉強したら何かに目覚めるかもね。
神道系の縁の強い人です。
仏教も好きだと言っていらっしゃいましたが、明治以前の心霊は神仏習合なのでお経も好きだったりしますね。
そっちが強いと現代では修験系かも。
言霊については神道家ではない私は残念ながら教えたりはできない。
そういう勉強をご自分でして行くのがいいかもしれない。
霊狐は霊的なことや修行の話になるとたまに出てくる。勝手に出てくるので私が逐一何かを聞いている訳ではない。
商売や男女の話など世俗の事情にはまったく口は挟まない。
興味が基本的にないのだ。こちらのニーズには一切応えない。
だから霊狐さんにこれこれを聞いてほしいといわれるような霊感占いのようなものは全くできません。そういう意味で拙寺に相談に来るのは無駄足です。