羽田談
御利益信仰で終わるのは浅はかだが、御利益信仰を馬鹿にするのに思うのはもっと浅はかだ。
私は学生のころから御利益信仰の庭で育ったからよくわかる。
「あなた学生さん?ご利益信仰とかじゃないんでしょ。偉いわね」と若い頃よく言われた。
なにがどうえらいんだ?
言われれば決まって「いいえ、ご利益信仰と言えばご利益信仰です。だって何一つ良いことがないならこんなことしませんからね。」と返していた。
皆驚いたが、実際こっちの方が驚く。
なかには「それじゃダメだ」という人もいたが、「じゃあ、どう、ダメなのか教えてくださいますか?」といっても「いや、それは君違うよ」というだけ。
なんだかさっぱりわからん。
この態度は今でも同じだ。
御利益信仰を笑うのは大学の高等数学を目指しているからといって、小学生の加減乗除異の算数を馬鹿にして否定するようなものだ。
「御利益とかじゃないんです。感謝の信仰がしたんです」で、入講希望という問い合わせが来たが「そう言う方はよそいったほうがいい。当院は現実打開の人の信仰の場だから、感謝したいというだけなら、うちなんかこないで自分で感謝していれば何も不足ないでしょう。」といっておいた。
とことん御利益を求めることも信仰を捨てなければやがて道となる。そういうものだ。