金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

脚下照顧

得度して修行もしていながら祭礼のたびに想うのは線香もまっすぐ立てられない。物片付けかたも無造作に積んだまま、しかも元に戻さない。

花の活け方も左右バラバラ、ロウソク立ても中央から等間隔ではない。

そういうのが目に入らない。気にもならない。

世間に対して行者志望の人ももうしている人もあるがそんな人が世間に向かって何を言おうというのだろう・・・?

基礎の基礎がダメ。

小僧修行していない人はそこが顕著だ。

祭礼に出ても所作が無茶苦茶。

アンタ、日常こんな杜撰なことでよく仕事してるねと思う。

 

まあそれもこれも私の指導力がないからそうなると言えば全くそうだろうが。

一番酷いのになると挨拶すらもロクにできていない。

さすがに今はそこまでの人間は全部やめてもらったのでいないがこういうことはゆるがせにできない。

挨拶ができない人は大体思考もおかしい人が多い。

だからいきなり名前も言わず、電話でため口でものを聞くなどと言う人はほとんど口を利かないで電話を切る。

たとえば、「あのさア、憑き物のお祓いとかしてるう?」というのは「していません!」で切る。

嘘ではない。「お祓い」というのはお宮ではないからしていません、

そういうものは相手にするだけ無駄だ。

 

修行だなんだと言ってもそういう基礎の基礎ができていてないのに山をいくら登ろうが猿や猪と同じ。

達者にお経をとなえてもさえずる野鳥と変わらない。

 

こういう細やかさ。心配りがない人はいくら修行しようが、それが本当の意味で修行になっていないのだと思う。

脚下照顧の心が大事だ。