人はみな、川の流れの中の魚。
自由に泳いでいるようで川の流れに流され、みちびかれ、行きたい所へ行っているようでも限られた川の中で泳いでいるに過ぎない。
魚たちはこの川のどこかに安心にくらせる特別な淵があると思って探すが本当は皆同じ流れのうちだ。
この川をカルマという。
魚にもいろいろある。
なかには川をどんどん下って広い広いまだ見ぬ海に行こうとするのか、はたまたどんどんさかのぼって源流を見極めに行こうとするか。
仏道修行はこれに似ている。上座部的な上求菩提のこころは川を上り、大乗の下化衆生のこころは海に下る。
そういう魚もいる。