先ほどある出版関係の方とのお話でレ点や順があっても漢文が読めないお坊さんが少なくないと聞いた。
僧侶の基礎教養が著しく下がっていると思うという話だった。
私が加行したときなどは江戸期の版木だから漢文のままだ。説明すら下し読みなどない。
それでも読めないでいる行者は「そんなものも読めないのか!」と指導者からいわれたものだ。
獲無垢(ぎゃくむく)を「ゴムク」と呼んでどえらく叱責された人もいた。
また江戸時代の旧字なので普通には読めない字も多かった。
でも僧侶であれば読めることを最初から要求されたものだ。
読めなければ「お前はそれでも坊主か?」といわれた。
時代は違っても努力が必要なことは同じだ。
この前も声明の習礼で録音していいですか?とたずねた人が「そういうものではありません」とキッパリ言われた話を聞かされた。
そんなのは以前は当たり前だった。
勿論、一回聞いて覚えるのは無理。
だがその無理に多分に自分を磨く修行がある。
ムリの全くないところに修行はない。