金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

エクソダス

昨日はようやく星祭も終わり、本の原稿も上がりでほっとした一日でした。5日からは「エリクソン催眠」の講習やらなにやらでまた予定が詰まっていますので、ここは久々に羽を伸ばし映画鑑賞をしてきました。
みたのは「エクソダス旧約聖書出エジプト記の話です。これは大昔に「十戒」と云う映画がありましたがほぼ同じ題材です。「十戒」は実際は私の生まれる前の年に作られた映画ですが、私は小学生の時に見ました。こちらはモーゼをチャールトン ヘストン、エジプトの王ラメセスをユル ブリンナー 王妃をアン バクスターと云う名優たちが演じた232分の大作です。あんまり長いので間に休憩が入ります。
エクソダス十戒の違いを言えば、神様が子供の姿で出てくること。
モーゼはこれにため口をきいていることです。終わりになるにしたがって丁寧にはなりますが。
もっとも英悟は不得手なので具体的ニュアンスはよく判りません。
その中で印象に残ったのは「神ならなぜ今まで奴隷になっているヘブライ人をほっておいたのか」!とモーゼがなじると神は「何もしなかったのは私だけだというのか?」と返しますがここは暗に何もしなかったことを認めています。
最初モーゼはエジプト相手にゲリラ戦を展開しますが神は「そんなことをしていたら200年ぐらいかかるぞ。」といいます。モーゼがそのくらいかかってもいいのだというと「お前は何もしていないのと変わらない。まあ私のやることを見ていろ。」と返します。
そして神は川の流れを血に変え、疫病を流行らせ、カエルやアブやイナゴの大群を呼びよせ、雹をふらせてヘブライ人を解放しないエジプトをさんざんに悩まします。この辺は「十戒」と同じですが最後にどうしても王がヘブライ人を解放しないので神様はエジプト人の長男を皆殺しにする作戦に出ます。これにはさすがにモーゼは「ひどすぎる。」と言って反対し、王に「子供を護れ」と宮殿まで忠告にまで行く場面があります。神はこの時も「400年間も酷いことをしてきたのはエジプトではないか?」とかえします。十戒でもこの場面はありますがこうしたやりとりはありません。
また面白いのは最初エジプトの巫女の予言が当たる形でストーリーが展開し始める点です。十戒ではヘブライの神に対しいくら祈ってもなんの験力をも示せないエジプトの神を「ただの石の塊なのだ。」と王が吐き捨てる場面がありますがエクソダスでは古代エジプトの宗教にも少し分を持たせています。
全体にモーゼは最後に宿敵ラメセスの命まで救おうとするほど人間的なのに対しとても冷ややかな神様のイメージです。シナイの山で十戒をモーゼにをして石板に彫らせる場面でも「納得できないなら辞めてもいいのだぞ。」と突き放し気味です。
私的にはこの映画の神様のリアクションにインドの神々や日本の龍や天狗などの自然霊のイメージが重なりました。
但し天狗やインドの神々と違い民族に深く関わっている点で大きく違います。天狗やインドの神々のなかでも実類といわれる神霊は我々にあまりかかわりません。別に人間同志が何をしようが自分たちには関係ないという風です。
こんなことをいうと叱られるかもしれませんがこの映画に限らず旧約聖書を読みますと私の印象では神はトーテム神であり、もともとヘブライ族はハゲタカなどの猛禽をトーテムとする一族だったのではないかという強い想いがするのです。眷属の天使も翼がありますし。
欧米の方が見てこの映画に出てくる神様にどんな印象を持つのかは大変興味深く想いました。