でもこれは修験道の祭文、悪魔祓いや五体加持などでつかう祭文に何となく似ているのです。
心理学的に考えれば五体加持もまったくトランス状態です。そこでなんだかわからない様な部分がある祭文を読む。無論全部訳の分からないものではありません。訳の分かる部分が大半だから訳の分からない部分がむしろきわだつのです。
たとえば「三石かわらの瀬岩に叩いて祈れや祈れや」とか「本逆本地の大護摩供養」とか「ちんじの諸願を戒めたまえば五百の陀羅尼は矢先を揃えて金剛般若の利剣をなげうちたまえば」などなどなんだかわかったようなわからないような言葉がでてきますが御加持も実はここが効いてきます。
当たり前の言葉は潜在意識に働きかけません。
修験道の祭文は心理学ではないけど心にどうやって大事なことを入れたらいいのかよく知って作られているのですね。