金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

諸心みな非心たり(金剛般若経)

諸心とは我々の日常の想いや考えのことです。人間とはなんでしょう。ご自分の体がご自分そのものでしょうか。人間とはこの肉体ではありません。肉体はやがて「むくろ」となって果てます。死体はすでにその方ではありません。その方のいなくなった亡骸に過ぎません。「ナキガラ」とは本人がいない「殻」の意味です。これに対して生きているうちは我々の体は「ミガラ」といいます。では体でないとすると心こそが我々の本体でしょうか?

しかし、この心というものには決まった形はありません。絶えず動いているのが心です。たとえば好きなものも嫌いになったり、反対だったものも賛成になったり、たえず外界とのふれあいで変わって行きます。ですから私そのものでなく「私」の心というのです。私は心とまた別なので。しかしこれを心とよんでいますね。このほかに「心」というものはありません。「これを名づけて心となす。」です。こうしてみると我々は確固としてこれと云う本体はないのだと思うのです。ですから良い心はあっても良いばかりの人もなく悪い心はあっても悪いばかりの人もなく、良い人はどこまでも良い人ではなく悪い人もどこまでも悪い人とは言えないのです。これをもって私たちの本質は「空」ということができるのです。