ちょっと前に「十一面様の仏像を得度した方に譲ります」と言っていたら得度していない50歳半ばの方からご希望がありました。
「得度者のみですから・・・」というと「得度して、いただきたい」たいというお話。
「では三千遍、十一面様の名号を唱えて五体投地する礼拝行をしてもらうことになりますよ。・・・・そこまでやれるならば後は書類のみですから一応あなたで内諾します。」というと「是非!」というお答え。
「行中に観音さまの行き先はほかの方に決まってしまうかもしれませんよ。そこはいいですか?それならやめるというなら行などしないでください。」といいましたが、「ご縁のものですので、それでも良いから行をさせていただきたい。」ということでした。
実際、程なく行を終えられたと連絡が来ました。
それでこの方にお譲りすることに。
十一面さまはなかなか厳しいお方です。
私が得度者だけと言ったのには訳があります。
私の師匠が十数体の総白檀性の十一面観音像を授与したけれど、結局は在家の人は皆最後までお給仕し切れなかった。最後の最後にはお祀りしていたのは私とK師のみでした。
我々の過ちに対しては、つきはなしたような感じでお諫めになるのですがそれがこの観音様の有り難い御教示。
「心だに真なき身の祈りには験無きこそしるしなりけれ」というそのもの。
そこをわからないとこの観音様はおまつりできない。
祀ればきっと嬉しい事が目白押しなどという大きな勘ちがいをしているととんでもない憂き目を見ます。
冷笑忿怒尊ともいわれる。
そういう方です。
でも、こういう気持ちでのお迎えなら観音様もそこに行こうという気になるかもしれませんね。