ある明治期の高僧が水面を歩いたとか、宙に浮いたとか・・・
それをどう思うのか?
そういうことはあると思う。疑わない。
だが人為ではない。
奇跡は起きことはあるが決して起こせはしない。
高僧を水の上を歩かせるのは別なものの意志だろう。
それが高徳の僧であれ猫であれ本人がしているのではないという点は一緒だ。
日常的に水の上を歩けるならそれはそういう能力であって奇跡ではない。
アメンボが水に浮くのは不思議じゃない。足裏に細かい毛が沢山生えていて浮くのだ。
それと同じ。
旧約聖書の出エジプト記ではモーゼが死海を分けて対岸に渡ったという。史実か否かは別にしてこれはモーゼがしたわけではない。もちろん、ヤーヴェの神がモーゼを介したという意味ではモーゼは不可欠だろうが彼の能力ではない。
同じことだ。
癌が消える。
大変な儲けを出す。
大変な借財がなくなる。
そういうことは私も祈って体験はあるが起こしたのではなく、あくまで起きたことと思っている。
無論、偶然だとは思わないから「祈り」は不可欠だとは思う。
だが、祈りが何をもたらすかは決して平等ではない。
謙虚さのない祈りは祈りではない。
だからたとえ奇跡が起きたにしても謙虚でなくてはならない。
宗教者も信者もである。
また驚くような奇跡談を聞いても、誰にも同じことがあると期待して信仰を寄せるのは大きな見当違いだ。