金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

毘那夜迦信仰をしてはなりません

※初めて読む方は前の「新しい聖天信仰」の記事をまず始めにお読みください

毘那夜迦とはビナーヤカと言われるインドの常随魔です。
歓喜天の眷属として知られますが本々が人の幸福や喜びを妨げる悪魔の類でこれを善導するために聖天様がおられます。
従って聖天様を祈れば毘那夜迦はそれこそゾウが調御者に従うように働くのですが、聖天様を抜いて単独でこれに向かえばただの鬼類としての危険な存在でしかありません。
彼らはいってみれば西洋の悪魔と同じで取引や契約が好きですので「○○しますから願いを叶えて下さい」ということによって動いてくれますが、そういう取引は変更することはできません。
また約束したことを実行しないのでとりかえしのつかぬ障礙を受けることもあります。

聖天様は自分と取引せよとは言いません。
元より自在神力の御方ですから我々に無心する必要などないのです。
大慈大悲を以てその人に必要と思われることはその真心をみそなわしお与えになります。
いくら願っても害毒になるものはお与えになりません。
又そういう取引のような信仰はお嫌いです。

聖天様と思ってもそういう取引のような心で相対すれば、それを受け取るのは実は毘那夜迦であって聖天様ではありません。
実際は聖天信仰ではなく毘那夜迦信仰をして良くない結末を迎える人は数知れません。
それで聖天信仰は祟りがあるというようなことを言いますがそれは違います。聖天様だけでなく、いかなる有難い神仏を拝んでいるつもりでも、信仰の考えを誤れば魔道に堕します。
聖天様の願いはその方が仏法を実践し衆生に有益な人として生きていかれること以外有りません。
従って尊天の好物を沢山お供えしたりするのも、ただ尊天を喜ばすためであって御利益と交換できるという姑息な考えでは決して御納受されないことを知るべきです。

普段は付き合いすらしないのに頼みごとや困った事がある時だけたよりにして尋ねてくる人をあなたは信用できる人として迎えられますか?
聖天信仰で大事なこと。聖天様から好かれる人になることです。
欲しいものだけもらえば、後は信仰にも聖天様にも用はないというような人は到底好かれません。
だからこれさえ叶えば・・・という願い方はまず納受されません。
此れさえ叶えば・・・・・の後は何でしょう
心底に真心なく聖天様を利用しようというのがみえみえだからです。
欲しいものは遠慮なく言えるように尊天と心通わす付き合いが大事です。

なお、自分は聖天様にお願い事をするのをためらわれる方はお参りの前に下の神歌を日々お詠みください
 
「富をせば宝の山に余るほど。命を言えば千代にふるまで」

已上の考えがお分かりになる方が御信仰されることをおまちしています。