今月の8日、約10年振りに師匠の寺である金翅鳥院に帰山しました。
思い返すとこの10年様々な事がありました。寺を出ると決心したころ「見聞を広めたい」
などと言っては見たものの本心を言えば後ろ向きな心があったことは否定できなかった。
当時を振り返ると自分自身の行に対する心構えが半端なものであったと思うし、気持ちが浮つき
世間の事柄に後ろ髪を引かれた感もありました。
実際当時髪の毛も伸ばしていた。
(私はいまだに伸ばしてるけどね)
お寺を出た後はアルバイトや会社勤めを4年間程して過ごし、この期間に本山で加行もさせて頂くことが出来た。
若干二十歳で出家した訳であるから、世間の事には疎かったし娑婆での仕事も良い経験となりました。
正直なところを言えば、この事には二の足を踏んだ。
それまでの私は本山との縁も深いものでは無く、滋賀の地には知り合いもおらず、移住した当初は暇を貰ったとしても
新たな土地での行動範囲を広げるとか開拓する気もなく、過去に訪れた事のある伏見稲荷へ良くお参りに行ったことを覚えています。
当初は3年間程で金翅鳥院へ帰山の予定であったのが、調度3年目の節目に奇縁により二階建ての家を安く借りることが出来、
そこで道場を開き宗教活動を行う事も出来ました。
このことに関しては羽田住職や本山の先生方からの全面的な許可を得られた訳ではありませんでしたが、この事をやめろとも言われず、寛容に見て頂いた事に感謝しております。
お陰で道場に僅かとはいえ集まった人々との交わり、そして一から寺院を作り上げていくという事の自らへの諦め、自らの運命を生きる覚悟を与えてくれたと思います。
10年前お寺を出た時、まさかこれ程までの出会いや経験があるとは思いもしませんでした。
これからの10年はどんなものなのか、これまでの10年が予想もつかないことの連続であったのだから
この先の事も予想もつかない。分からないからこそ不安もあるし楽しみでもある。
現在の自分は、金翅鳥院に帰ってきて基本的には下座行が生活の中心になっています。
20代の頃とやっている内容は同じでも毎日充実している。
今思い出すのは、初めて羽田住職にお会いした時、「自分自身を変えたいと、そういった祈祷をして欲しい」とお願いしました。
羽田住職が仰られたのは、「それなら自分で修行するしかないね」という事でした。
自分自身を変えるには自己を観察し内省し定力を鍛える。
私にとっては、ずっとそれが生きる上でテーマになっているし、これから先も変わらないであろうし
死ぬまでああでもないこうでもないと言っているのだろうなと思います。
羽田が思うには、実際にお寺を立ち上げることを選択しないというのは構
わないが、行者として生きていくにはそのくらいの気概は欲しいね。
そうでないと難しい。
寺に帰参することは外でやって行けたなら必要ないし、やって行けなくて逃
げてくるようでは先行きその寺を譲られたとしてもやはりやっていけなくな
る。ここは難しい公案だね。さてどうとくかな・・・。