金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

行者の宿命

ある法を「互授」することになり、法友と昨日電話で話しました。
久しぶりによもやま話したけど彼はある意味、知る人ぞ知る人なので大変みたい。
この人実力もあるしね。本仕込です。
私なんかみたいな在野の行者クラスじゃない。

色々相談だの勝手な祈願だの、なかには呪詛してやるだのという手紙はじめ色々くるようです。
まあうちの規模でさえも、色々ありますから…。

昔、なんでだか、私を調伏しているという行者の話も聞いたけど、こういっちゃ気の毒ですが・・・なんちゃなかったね。
せっかく調伏したのにね。
相手も結構な術者のはずですが…まあ、一種の挑戦みたいなもんでしょうか?
私、その人に何も悪いことしておりませんので大丈夫です。
多分、良くも悪くも因縁がないんだね。
そういう術者には他流試合みたいなイタズラ心はどこかにあるもんです。
でも調伏ってのはおだやかじゃ無い。やりすぎでしょう。
それじゃ試合じゃなく果し合いだね。意味わからん。
世の中にはそういう馬鹿がいる。
でも「こりゃあ、そういうバカの相手までにするのは祈祷やる行者の宿命かもね、困ったものだわ。」とお互い笑いました。

同じ行者さんでもなかには方々で失敗して、さすらっているような人もいます。
失敗するといっても法が効かないんじゃなく人格的になにか騒ぎ起こすとかのようです。
そういう人は力あっても徳が不足してるってことなのですな。
乗急戒慢という奴です。
私もどちらかといえば「乗急戒慢」だけどね。そう思う。
結構、事相も知っているらしいし、祈願の腕もいいらしいのに惜しいですね。
そういう人もいます。