飯縄様からずっとまえに聞いた三種の神器の話、書き留めておいたものが出てきたので忘備録として書き出します。
「鏡(八咫鏡)は心王だ。一切の穢れを離れ、意澄ますとき人は「ほとけ」となる。即身に仏となるとは別義ならず。これなり。多年の修行も用いず、直
に意澄ますならそれ即ち仏なり。現世にこのほかに仏なし
八咫とは八識の表示だ。これ意密なり。
剣(草薙剣)は身密だ。自他一体なるがゆえに両刃の剣だ。邪を切らんとするならまずおのれの邪を切れ。然れば外の邪も切れようぞ。
剣の切りし八俣大蛇。八俣は八識の穢れたるを表す。八識は各別ならず、
前五識穢れれば意識穢れ、意識穢れれば七識穢れ、七識穢れれば八識穢れる。働きかくなるがゆえに八俣という。
大蛇はそのまま大いなる邪である。
八識の穢れを払えばおのずと外に邪はない。
勾玉とはマガは「魔がこと」。玉はそのまま実相を言う。マガことと見えたりしも実には真如なり。世のあり様、汝がごとき凡眼にてはさまざまに荒れ乱れたるとみえしも世を離れて実に真如なし。この心を勾玉という。
玉はことたまなるがゆえに口密ぞ。わかりしか。」
飯縄様にしては思い切り長く語られました。他に体験上類例がないね。
まあ、私自身は私だけの神道として飯縄様の言われるように解釈しようとしておりますが・・・。