そんな時、「・・・していいとか悪いとか聞かれて私が許可する立場にはないですよ。でも・・・いけないというとするなら誰がいけないと言うのでしょう?」と聞きかえしています。
そもそもそう聞いている人も一体、誰に許可されたいのでしょうね?
そこがわからない限り答えはない。
仏様でしょうか?
それなら私に聞いても無駄。私は仏様ではないです
あるいは亡くなった方ご本人でしょうか?
イタコさんでもたずねてください。
真宗の和尚さんなら多くは「それはうちの宗派ではしないことなんですよ。」というでしょう。
真宗の教えならそうです。
しないのが正しいんです。
「真宗流に正しくやる」ならそういうことはしないということです。
私としての立ち位置はお施餓鬼だったしてほしければして差し上げる。いらないというのに、「しないといけない」とはいわないです。
それだけ。私としては要は本人が必要と思うか否かそれだけです。
するのが正しいのか。しないのがいいのかは自分のスタンスが決めることです。
そういうと「でも真理はひとつでしょう?違うの!」とかいいだす人も。
逆にお聞きします。そうなんですか?真理は一つですか?
私にはそこはわからないですね。
モノによっては答えがいくつあってもいい場合もあると思います。
そもそも、その場合の真理って何?
正しい本当の宗教?そういうことですか?
正しい本当の宗教なんてわかりません。
ましてや真理なんて抽象的な言葉はぴんと来ない。
宗教として機能しているという意味では皆それなりに正しいかも。
オウム真理教やイスラミック・ステートみたいにあきらかに人に害があるのは間違っているのはわかるけど。
でも思うのは何宗であれ、その家の宗派って江戸時代に「宗旨人別帳」という一種の戸籍を作るので決まったんですよね。
要するに当時のおかみが決めたんでしょう。
江戸幕府が。
信仰は自由なのに、江戸幕府の決めた家の宗教が決まっていて守らないといけないというのは現代ではどうなんだろうか?
勿論そんなこと言おうものなら檀家寺さんから「余計なこと言うな!」と怒られると思うけど・・・。
でも今まで檀家離れしなかったのが不思議なくらいです。
それだけ宗教に我々日本人が関心がなかったということでしょう。
結論的に言うなら、そういうのに悩む人は代々何宗という家の宗教と自分の信仰とは別に考えればいいと思います。
でももともと信仰的にはクリスチャンだったんですね。
別にクリスチャンをお捨てになっているとは聞いていませんから、皇后さまの中ではその二つは両立しているんでしょうね。
本来宇宙観も神の概念も全く違う二つの宗教ですが・・・
家の法事や葬儀はおうちの宗派。
個人の信仰はそれとは別でもいいのではないでしょうか。
宗教にも国の宗教、家の宗教、個人の宗教といろいろあっていい。
別にそれを統一なんかいらない。そんなことするのは間違いです。
私は国の宗教は神道だと思っている。
話を戻すと宗派は色々あるけど仏教に関していうなら皆仏様の教えにあることですよね。
それを説かれた仏様から見て・・・拝んじゃいけないお経や仏様なんかあるのでしょうか?
ザックリ言うと天台はそういう考えです。