金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

祈りは気遣うこと


夜の11時まで護摩焚いても全ての依頼がこなせていない。
もう最後は行者は体力の勝負ですね。
頑張ってやっていますが年齢的に矢張り疲れを知らぬ・・・とまではいえないです。

こうなると自分のケアも祈って置かないといけないかも。
師匠は行者は自分のことは祈らぬものというし、世間でも祈らずとても神や護らん…といいますが、祈ることはきづかうことでもあるからね。
だから自分の祈願は簡単でいい。
自分の祈願だからと特別に大祈祷するというのはちょっと違うかもしれない。
そういう彼我の差別相に住すればかえって効かない。
それは若いころにさんざんやってよく分かっています。
神仏はそういう差別相を超えたところにいるから。
入三昧地で「本尊と我が身と一体無二なり」ということは自分がなくなって本尊だけになる。
そこが密教祈祷と一般のお祈りの違い。
自己への執着から差別相に堕して自己主張すれば密教祈祷の体裁でも密教祈祷にならない。
行者さんで持分の事だと特別頑張って祈る人とかいるけどそれはかなわない。なぜなら今言った理由。
だったらむしろ人にご祈祷してもらった方がいいんです。

私も健康面は兄弟弟子にあたる野田のお聖天さん「東正寺」さんにお願いしてあります。
寺内の安泰は、昔から大井の聖天さんです。
星周りは蒼龍院さんにお願いします。
わたくしごとはそんな感じ。自分ではそのお札を拝むという風。
一信徒と同じ。
だから、素人さんが思うように自分で聖天さんの浴油さえできれば栄耀栄華は思うまま・・・ではないね。そうなったら人生のハンドルは聖天さん預かりになるんです。

このところ心配なワン・ニャンがいて祈っていますが。一匹のニャンコはようやく餌食べだしたと連絡がありました。
「よかった!」
人間であろうが猫や犬であろうが、そういう験があるのが矢張り行者にっては頑張る源ですね。