その内容はとても奇妙なものでした。
ある相談の方が見えて家運が衰退していく。その相談。
訊けば父母の骨を納めずにずっと家にあるというのです。
むかしは遺髪の一部など持っている人はいました。
戦争にいった兵隊さんのものとか・・・
でもお骨自体を丸ごとずっと家に置いている。しかも両親ともらしい。
何故?墓がないの?
お墓高いから?
いえいえ、どこのどなたかは知りませんが、どうもそのくらいの資産はある方らしいです。
理由は「自分の先祖が祟るわけないから…」だからそれで、いいのだというらしい。
それ駄目だと言っても聞かない。
これ常識ないんですね。
たとえ、先祖が祟らなくても先祖からすれば居場所を得ないでしょう。
安らがない。
愚かな自分の気持ちしか考えていない。
気の毒なのは相談者でなく、お骨です。
どのくらいの年の方か?若い人かと思えばそうではないけっこうな年の方なのだという。
二度ビックリ!こういう考えなら家運衰退するわなあ。
彼は陰陽で説明して「ものにはあり方がある。お墓は隠宅というんですよ。それが生活空間の陽宅つまりおうちにズッとあっていいわけない。
それ何とか納めないなら家運が衰退するのは当たり前でしょう。
陰のものは陰として陽のもは陽とする。
そこが理解できないなら祈願はできません。」といったそうです。
「まずい説明でしたか?」
「いいえ、上等でしょ。」
「ご祈願は断るのは悪かったですかね?」
「とんでもない!断るべきだよ。経験から言えばそんな変なこと言うひとは しぶしぶ言うこと聞けばまた次はどんな変なこというかもしれない。
もう、そんな人間はかかわらない方がいいね。」
僧侶はまがりなりにも仏教の専門家です。
ハッキリ言っていわゆるサーヴィス業ではない。
それにあれこれ変な理屈言って我意を立てないいうなら好きにしたらいいと思うね。それはアンタの勝手ですから。
でも、こちらが拝む・拝まないそれはこちらの判断ですからね。
よそで自分のいうこと聞く人捜して拝んでもらえばいい。
拝むのが仕事だから、お金さえいただければものの在り方を無視してでも拝む。それはただの拝み屋です。少なくとも仏教者ではない。
私もこと祈願においては妥協はゼロです。一切しない。
この弟子のいうことは正解だと思う。
私はそういう「拝み屋」を育てた憶えはないから。
この電話が終わった後「ハハハ、馬鹿な奴だ。家に骨があるんじゃないな。そやつらが墓のなかに住んでいるのと同じなのだ。」と笑った。
霊狐さんは私以上にキツイこといいます(笑)