金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

易経にみるリーダー

古来徳薄いものを小人という。
徳の薄い人というのは貪欲とか、身勝手とか色々あるが、それがひどいならリーダーにはなれないからあまり心配ない。

一見してそうではないが実はリーダーに不向きだという性質をひとことで言うと感情爆発型の人。
仏教でいう瞋恚のひと。
こういう人は基本的に怒りを常に蓄えています。
些細なことでも起爆する。当たり散らす。
その蓄えられている怒りの正体は劣等感です。
ただし、実際にその人が劣等感を感じるようなことの有無は客観的な認識とは必ずしも関係ない。
故に人に侮られてはいけないと劣等感から後先なき行動をするのを「匹夫の勇」という。
徳というのは一事であれば「おのれを慎むべき」をよく知ることだとおもいます。こういう態度に慎みは見られない。
でも、そういう人に徳が薄いという所以を指摘するともっと爆発するからなかなかそこはいえないもの。
即大爆発!
だから一番よくなりにくい。

易経に徳の薄い人間がどんなに手柄を立てても財宝や褒美を授けてやり、位階や地位を決して授けてはならないという。
もっともな話ですね。
感情のコントロールができることと人の善悪は微妙にそれとは違うとは思うのですが・・・
でも、少なくともそれができない人はリーダーは無理。
易経で言う小人です。
ゆえに無類の善人でも、非常に有能であっても、こうした欠点がある以上はその人はリーダーや上位の地位に置くのは不適当ということになる。
それを易経は語っている。
人がついてこないものは善人でも有能でもリーダーではない。
千古の真理。

この原則にも基づき行動すると、その人事はときに差別だと言われるが、人を見極めるということは結果、当然そうなる。
悪平等は無責任。
にくまれて泰然たるもリーダーの資質でしょう。