金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

毘那夜伽にさえ相手にされない

「いままで聖天様に色々約束して守れないけど罰も当たりませんけど・・・」という人がいた。

 

私は約束して動くのは毘那夜伽だから、信者さんにはそれはいけないという風に教えています。そういうのは極端にいうと自分を呪いにかけるようなもんです。

そういう毘那夜伽は実は一種のペナルティとして働くためにいるんだと思う。

でも約束して守らなくても何ともないというのは毘那夜伽でさえその人を相手にしていないということですね。

毘那夜伽にさえ「ああ、こいつはいい加減な奴だ。」と見抜かれている。

師匠も「なにしても罰も当たらないような人はご加護もない。」といわれた。

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神仏は交換条件でどうこうするものではないので正しい信仰の形としてはお約束はいけない。

だが、しかし口に出した以上は実行しないといけないのが鉄則です。

 

ましてや感謝をすることは当然だとして、それを心だけでなく形にしなくてはいけないのが天部信仰。

だからうちでは祈願と同額の願ほどきをします。

それより以上はするもしないもその人の気持ちの世界です。

 

人も聖天様も心でお付き合いするものです。

そういう心がない人は毘那夜伽の術中にはまる。

そういう方は聖天様もお助けにはならない。

聖天信仰はしちゃダメなタイプです。