あずさ霊狐の曰く
「お前よ、良きことをしようとするより良き人であろうとせよ。
日ごろ良き人であろうと思わぬままに、良きことをせんと思えば、それはいかにしようかと構えてすることになる。
良き人は良きことを常の行いにするもの。ゆえにそのように構えることはせぬものだ。
良き人であろうと思えば自ずからなにをすべきかわかるというものだ。
良きことをなすに負い目からしてはならぬ。
おのれに非ある故、悪しき業があるゆえに代償に善事を行なわんとする心は負い目だ。卑屈の心だ。
しなくていいことを負い目ある故にするだけのこと。それでは善事の意味はないぞ。
我が身の罪障消滅のためになにか良き事をせねばならぬなどというのは大いにあやまった心だ。
実に愚かなことだ。
そのように言うもののあるが、その実は善人であろうとすることと罪人であろうとすることが一枚岩の心だ。。
そも、良き事をするのに目的など必要か。良きことは良きこと故にするのだ。当たり前のこと故するのだ。
良きことはかかる謙虚の心よりいたすべし。
謙虚は負い目の心ではないぞ。相身互いという平等の心のことだ。
自尊心をなげうち他人様を上に置くことではないぞ。」