最近になって自分が死後どうなるのかうすうす分かってきた。
…ような気がする。
またまた超・頭のおかしいことを言っていますが・・・
これは誰が決めたわけでも無い。あちらも何となくそう思ってるし,私も多分…と内心思っているだけであるが・・・。
天台僧なら六根相似の位に至って後は往生極楽で阿弥陀仏や諸仏のみ前で十地の修行を完成するのが理想的だがわたしはそんな立派な天台僧ではないから到底それはありえない。
まずそういうところとは縁はない。
一応は補陀落浄土と思っていたがそれも無理そう。
私が行くのは諸仏の浄土でも天界でもない。
地獄や餓鬼は勘弁してもらいたいが・・・
思うにわたしは死後たぶん霊狐界に行きます。
霊狐というのはこの世の動物の狐の死んだ姿ではない。
修行を助ける眷属霊のグループであるという。
本来決まった姿はないが狐の形をとる。
この畜類の姿であることが大きな修行になっているのだという。
驕りや増上慢を捨てて、よつ足の生き物となって行者と神仏の間を結ぶ。
そのための霊狐の姿だという。
霊狐としてこの世の修行者と神仏の間を行ったり来たりする存在になるのだろうと思う。
私もそんな仕事があるならばしてみたいと思う。
私が霊狐たちとかかわりあうことは実はもうその修練が始まっているかららしい。
霊狐さんはなにもいわないけど
「どうしてわれらとお前がこうしてかかわっているのかわかるか?」とだけ聞かれたことはある。それきりだが、それ以上は何も言わない。
いわば私も今から一種の見習い霊狐なのかもしれない。
まあ、かなりクレージーなことを言っているのは分っているのであくまで、一種の戯言と思っていただいていいのだが・・・
しかしもし、死後があるなら私には何かそれが一番ふさわしい在り方のように思う。(笑)
実は 私の師も天狗界に行くといっていたので、私は狐くらいでいいだろう。