金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「仏所護念」の祈祷は強力な祈り

 
こんなメールがきました。
 
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「いつも大変お世話になっております。
東京都台東区の三木でございます。
今月最終週予定の私の手術入院について、良いことが分かりましたので御礼・ご報告です。

再来週、私が鼻骨湾曲(左鼻閉塞)と、それに伴う鼻腔炎症のため、手術入院するのですが、

昨日入院前検査に行ったところ、手術入院自体は必要なものの、炎症がさっぱりなくなっており、鼻骨の一部を切除するのみで済み、手術費用・術後の痛みを抑えられるとのことでした。
ご祈祷の威力に恐れ入るばかりです。
誠にありがとうございます。
 
メールでの御礼で申し訳ありません。
引き続き、何卒宜しくお願い致します。」
 
まあ注目したいのはわたしの法力などではなく(そんなもの全く私にはないです)
仏所護念ということ。
この方は別に手術のことでお祈りを依頼されたわけではありません。
この方の願意は「仏所護念」
仏様の加護がありますようにということです。
守備範囲は決まってません。強いていうなら漠然と全部かな。
言ってみれば「仏さまにお任せコース」です。
 
こういう祈りが本当は祈りの基本なんだと思います。
まあ、商売がダメだからとか、良縁がなくて・・・とかそういう祈願もわかります。
痛いほど。
 
でも基本は仏さまにに守ってくださいというそれだけ。
そこは仏さまは私に必要な事はなにかを知っているという強力な前提があるのです。
だからこそ、この祈りは強い祈りなのです。
 
そういう祈りなら行者も実は自分自身のお祈りとして絶えずしている。
敢えてそんなこと何も言わなくても行法をするのはそういうこと。
仏とつながっていないなら行者は出来ないですからね。
行者が普段からすべき唯一の祈りと言ってもいい。
 
ですから仏所護念の想いはベースだということは大事です。