「民度」という言葉を時々聞くが何だろうかと思う。
そもそもこんな言葉あるの?社会学の専門用語ではないだろう。
麻生財務大臣が「民度が高い」という表現をつかったことで今盛んにやっつけられている。
褒めているのだから、私個人はそう目クジラ立てるほどでもないと思うが軽々に使うのはちょっと危険な言葉です。
何故ならこの言葉は「度」というのが附いているからです。
これは程度とレベルのこと。
すなわち、麻生大臣は「日本の国民はレベルが高い。」という意味でつかわれたのだろう。
それが反発を食うのはそのいわんとするレベルにどういう基準でいっているのかという問題が潜んでいるからでしょう。
また、レベルの評価をするというのがなにか上から評価を下されている感がある人が怒るのだと思う。そもそも褒めるというのが気に入らない人もいるんでしょうね。
大臣なんか所詮は公僕で市民である俺の方が偉いのだという認識の方とか。
さらに根底にあるのは「国民のレベル」というものは人によって価値観も違い、考え方も違うものだという認識もあるに違いないのだろうと思います。
例えばここでアメリカ人とインド人はどちらが民度が高い?という質問は絶対物議をかもすでしょう。
中国人と日本人でもそうだし、どの国だって同じです。
文化的に豊かな生活を送っている人はアメリカに多いだろうが、信仰ということを日常的に重く置くのはインド人かもしれない。何をフォーカスするかは人の価値観によりますね。
さらにネパールはこの間までは幸福度が高い国として知られていたが文明度は高いほうとは言えない。文明度が低くても民度が低いのだとは言えないという人もいると思います。
では何を持って民度というのか?
衛星観念が高い、教育水準が高い、識字率が高い。でしょうか?
いやいや、基準は無限にある。
しいて言うなら「社会性が高い」が一番ニュアンス的には。麻生大臣の言われた「民度」という言葉に近いだろう。
だったら「日本国民は社会性が高い」と言えばいい。「民度」などという訳分からない言葉は物議のもとになる。
もっというなら国民が政府に従順だということだろうか。
したがって麻生大臣の言葉から国民が政府に従順だというメッセージを受け取った人は、極端に悪意的に言えば「日本人はよく飼いならされた民だ。」と受け取ったのかもしれません。
だから「何様か」と怒るんでしょう。
まあ、もともと政府を敵視する眼で見ればそうでしょうが、私は基本的に日本政府を信頼している。
安倍さんは最高とまではいわなくても無能とも思わないし、日本政府を極めて悪い政府とも思ってはいない。失礼ながらむしろほかの政党だったらどうだったか冷や汗ものだと思う。
だから私はそこまで悪意にはとらないのですが、やはり「民度などという得体のしれない言葉」は使うべきでなかったとは思いますね。
国の偉い人が言葉を知らなすぎる。とはよく思う。