中宮寺の如意輪観音は以前は弥勒菩薩だと言われていました。
二臂の如意輪観音はインドや中国でも作例がないそうです。
日本独自らしいです。
東大寺大仏殿の脇侍や岡寺、石山寺の如意輪さんは二臂です。
でもこの二尊が似ているのはそこに弥勒・如意輪同体の思想があるからだと私は思います。
弥勒さまは56億7千万年の後に現れる未来仏。
逆に言えばそれまでは兜率天の摩尼宝殿におわす。
私たちにとってはそこに行くと言う兜率天往生の思想がある。
未来仏とともに兜率天から下りてその済度にあずかりたいという思想。
これは阿弥陀仏の極楽往生信仰がはやるまではこっちが主流でした。
だとすると現世では弥勒さまはすることはない?
そうではない、如意輪観音こそは現世の弥勒だという思想が生まれてきたと私は推測します。
たとえば弘法大師さまも兜率天往生の人。それでご本地が弥勒、同時に如意輪です。
これで見ても如意輪・弥勒は同体ですね
修験の聖地・𠮷野の金峰山には弥勒下生の時にささげられる莫大な黄金が眠っているという伝説があります。それで金峰山という。「金の御岳」という。
吉野に弥勒さまはいないけど、蔵王権現がいます。如意輪寺もあります。
蔵王は本当は金剛蔵菩薩ではなく、金の蔵の王なんでしょうね。
それで実は吉野は兜率天往生信仰の霊場、熊野は阿弥陀仏の信仰の霊場だなと思う。
ついでながらわが三井寺も二大伽藍をみれば金堂は弥勒、観音堂は如意輪観音で弥勒。如意輪一体信仰の寺だと思う。