森本元首相の発言で色々もめている。
私もどうしてこういう人に・・・とは思う。
まあ、その話は今は措いて「差別発言」と言うのにもピン・キリがあると思う。
これ駄目でしょと言うのもあるし、昔ならただの意見だったものが現代では差別だと猛攻撃されることもある。
近頃、なんか戦争中みたいに言葉にやったらうるさい。
私は人が傷つく言葉はいけないと思うが、ただし「不当な」と言う条件つきだという風に考えています。
たとえば「動物を傷つける実験は残酷」という言葉をいえば実際、そういう実験にかかわっている人は傷つくかもしれない。
そうなれば「お前は人を傷つける言葉を言ったのだ!」と言われればそうなってしまう。
今の風潮ならその言葉は動物実験にかかわる人への差別だという言葉も出て来るかも。
では動物実験に残酷だから反対すると言う私は差別主義者なのだろうか?
言ってはいけない言葉なの?私は不当にものを言っているとは思わない・
実際フェイスブックで製薬メーカーで動物実験にかかわる人から悲壮でさえある抗議めいた意見を受けたこともある。
抗議は勝手だ。反論も別にない。自分の意見を押し付けようとも、同調して欲しいとも思わないが、同じ理由で私が意見を変えなきゃとも思わなかった。
「ああ、そう。まあ、そういうご意見もあるでしょ」でおしまい。
無論人のご意見も拝聴するがそれは一資料に過ぎない。すぐに答えなどでない。
私は私、これが私の考える民主主義の基本だから。
そういうのわかんない人が多いのでうざいからフェイスブックは止めた。
同じ理由でツイッターもしない。
悪いけど逐一は相手してられないもの。
今もって私は基本的に化粧品会社や代替のある医療における動物実験には反対します。撤回などしない。
化粧品中の件では完全にそう思う。
医療であっても当たり前であり、喜ばしいことだとは思わない。
可哀想だとも思うよ。
ハッキリ言います。そう思うのは私の勝手だ。
それを化粧品会社で動物実験してる誰かさんが聞いて傷ついても、そんなことまでは私の知ったことではない。
これは私の意見なのだ。どう思おうと私の自由だ。私にはそっちの方が大事だ。
もし本当にそれで甚大なショックを受けたならば精神的に被害を受けたと訴訟にすればいい。
この風潮はどんどんエスカレートしている。
果ては「子供のいる家庭は幸せだ」と言えば「子供のいない家は不幸だというのか!」ということになる。
同じように「結婚は人生の幸せ」と言うと「結婚していない人は不幸せなのか」とすぐに目くじらを立てる。
私は結婚もしていない、子供もいない。だがそんな風に上げ足とるアホはどうかしているとしか思わない。
そういう意見もあるね!としか思わない。いささかも傷つかない。
「そんなの人の勝手だろ!なんでそれが幸福だといえるんだ」と反発する人
そういう傷つく人は本当に良い意味で個人主義を生きているのだろうか?逆だと思う。
人の幸福・不幸は人によって違うなら、結婚は人生の花だと考えてもいいし、墓場だと言ってもいい。どう言おうと人の勝手だろう。
私は他人様の個人的意見などどうでもいいのだ。
何か言えばすぐに汎用的に考えるバカさ加減にはほとほとあきれる。
世の中はまさに余計なこと言うな!の時代
でもそれに過敏になればなるほど、人と人とますます遠くし、人は孤独になっていく一因だと感じる。世の中とはただの人の集まりに過ぎないものではない。
耳障りだから全部封じる。ますます人のつながりは希薄になる
ついでながらそう感じるのも私の自由ですから。
差別発言といえば日本国に対する自国民の自虐的ヘイト発言はどこでもあふれている。
今の感覚だとこれだって差別発言じゃないの。
私 日本人として傷つくんですけど (笑)