私は子供もいないし、妻もいない。
昔は私より上の世代から
「結婚していない奴は社会的カタワだ、そういう男は世の中が相手にしない」
「家庭がない奴は一人前ではない。信用はない。」と山ほど言われた。
でも一度も傷ついたりしたことはないね。
腹も立たない。
そうやって前の時代はやってきたんだね・・・くらいしか感想はない。
自分のやっていることに自信があるなら傷つきはしないだろうと思う。
私には傷つく必要がない。
私は人と違う生き方をしたかった。まともなお勤めらしいこともほとんどしていない。
26歳から拝みで食べてる。
でも別に何においても人さまに優れてもいない。
生き残るために必至だっただけだ。
で、自分でなんとか一応今は望むように生きている。
悪く言うならこういう仕事も「怪しい拝み屋風情が」とかいくらでもいいようはあるだろう。
ほかにも実際そう思う人も沢山いるだろう。別に構わない。
その人の価値観がどうでも私に関係ない。
そもそも加持祈祷自体がなにも効果がないのに口車に載せて人をだますヤクザ商売だと思う人もいるだろう。
別にかまわない。
知ったことではない。
そもそも差別発言などする人は自分自身が人と一緒でないことをひたすら恐れる臆病者なのだ。雑魚の類だ。「人」と一緒ではない?その「人」って誰?そんなものは実際はいない。
叔父も「そんなことをしていて生活できるのか、金のない人間は首のない人間と同じだ。」と言われた。ためを思って諫言してくれたのだから採用はしないがありがたいと思っている。
ただ、人は自分は生ている世界しか知らないのだ。誰しもその価値観でものを言う。
かくいう私もそうだ。
そして選んだ生き方なら、それでどんな困難があろうが、孤独だろうが、良いことがあろうが全部自分の責任だと思っている。
家庭がない奴は駄目だと言うなら「へえ、じゃあ空海も日蓮も子供も妻もないからダメ人間ですかあ」とう言ってやったりした。
俗人でもたとえば英国のゴールデンエイジを作ったエリザベス女王は独身だ。
別に独身がえらいわけじゃないけどやり様はいくらでもある。
多様性は楽しいと思っている。それだけだ。
だから「息子もがロック歌手になりたいと言うんです。どうか止めて下さい。」とか言われて意見したためしはない。
そんなのは息子の自由だろう。
暴力団や犯罪集団に入るというなら止めようもするが。
だって見当はずれなこと言われて傷つく?
そもそも傷つくのは自分でもそこになんらかの問題を感じているからでは?
あんたみたいなひとばかりじゃないんだといわれればそうでしょうね。
でももっと自分で生き方に自信を持ったら。
もし本当に何か言われて傷つくならばそれは問題点への気づきかもしれないよ。
だとすればそれもある意味重要かも。
もしそうなら怒るより感謝だね。
いろんな考えの奴がいるからね。
私は考えは自由だから口を封じるというのは民主的だと思わない。
ただの誹謗中傷目的は別だけど。程度問題だろう。
「結婚していない人はダメな人」というのもそうだろう。封じたってそう思う者は思うだろうよ。言わなきゃいいの。思うだけなら?
バカバカしい。
最近の差別発言だ ハラスメントだと言ってすぐに騒ぐ風潮はハッキリ言ってあまり同調できない。差別を野放ししないのは大事だが最近なんかやりすぎ感がある。
差別発言だといって騒ぐより「それがどうした?」くらい言ってみたらよ。
私はそれが民主的な本当の抗い方だと思っている。