金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

1月滅罪会の感想その28 善龍庵

 

 興味深い感想と考察を頂いたのでご許可を頂いて紹介します。

 

 

【ここから頂いたメール】


大森先生

いつも大変お世話になっております。こんばんは、○○です。遅くなりましたが、減罪会の感想とご報告です。いろいろな事を感じ考える事ができ大変有意義だったと考えます。ありがとうございました。


 感想としましては、ものすごくスッキリしました。PCで例えると、ガーベジコレクションかメモリコンパクション、スキャンディスクかデフラグかといった感じでした。


それまで脳内や心の中で断片化したり破損したりしていた記憶や想いが見えない所でリソースを喰っていましたが、減罪会の修行を通してそれらが整理され、使用可能領域が回復した様な感じです。デバフ(ゲーム用語で弱化)効果がなくなり、リソースにウィルパワー(やる気)に より多く引き当て出来るようになったと感じました。

 

「主にマイナスの部分をゼロにもっていくことを目指します」とブログにありましたがその通りだと感じました。


 ご報告ですが、亡き父が夢に出てきました。書斎の真ん中の書棚の下段部分をなにやら探しています。

 

なんだろうと不思議に思っていましたが、後日そこから羽田先生の著書「最強の守護神聖天様」が出てきました。読み返してみると「お勤めの仕方」として「最後に回向文を唱えましょう」とあり、「あ、そうなんだ」と感じました。

 

日常生活では耳慣れない言葉であるから仕方ないのかもしれませんが、それまでは「回向」いまいちピンと来ていませんでした。


 諸説ありますが現生人類の歴史は5万年ほどで、そのほとんどの期間で狩猟採集の成果を自らが所属する共同体で分かち合ってきた事で命をつないで来ましたが、その事の集大成が、「回向」ではないかと直感しました。

 

 

 

人間は「群れ」を作る動物であり「群れ」全体がまとまって一つの生命体とも考えられますが、先祖の霊といった歴史も含めて一個の生命体であり過去に成果を分配することを「回向」といい、先祖とは過去の自分であり、先祖と先祖を支えてくれた自然の恵みに「回向」することは、現在の自分自身に貢献することではないかと感じました。

 

あの世とは過去であり且つ現在の自分であり、共同体の他人も自分であり、他人への貢献もまた、自分自身への貢献なのです。

 


 そして出勤中不意に「親父が初めてまともな事を教えてくれた」と頭に浮かび、ついで感謝の念が浮かび、ちょっと泣きそうになりながら何度も「ありがとう」とつぶやきました。「懺悔、供養、報恩」とはこういう事かもしれません。


長文申し訳ありません。感じたことを文章にしただけの妄想です。しかしながら、これからも修行や供養を継続していくと、違う感じ方をして考え方も変わっていくと思います。楽しみです。世界観や価値観が変わっていくのは楽しいですね。


追伸 
 先日、宅配ボックスのカードキーを探す際、「ここを探せ」と言われた(気がした)ので備え付けのクローゼットを探したところ、昔お中元やお歳暮で頂いた百貨店商品券が数万円分出てきました。

 

功徳を頂いたと感じましたので、この一部を使って施餓鬼供養にお布施したいと思います。別途、申し込み致しますのでよろしくお願いします。

 

予告

春季彼岸会は3月17日から19日までの三日間、宝篋印陀羅尼法を修法してご供養いたします。

近日中に詳細をブログに掲載予定です。


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