猫作家・猫田ピロミさんと言う方の可愛いニャンコの作品を講員さまから頂きました。
勿論、本名ではないでしょうけどお知り合いだそうで。
「猫様式の十三佛を描きたいけどどうでしょうか?」と猫田さんご本人は思っているとか。
「それってどう思いますか?」と問われ「別にいいんじゃないの。」
仏に本来姿はない。仏像だって人間がアクセスしやすいようにしただけ。
神仏を表現するのに人の姿でないと不遜不敬だなんて言ったら聖天様なんかどうなる?
うちの福猫さんだって同じことだ。
世間にはこだわる人もいるでしょうけど金剛般若経に「色を求め音声をもて我を求めんもの。この人は邪行を行ず。」というとおり、こだわりはいらない。
形はつながりやすいためのものでしかない。
金剛般若経では仏法でさえ彼岸に渡る筏のようなものという。「法すらなお捨つるべし、いわんや非法をや」と。
目的が果たせればなんでもいい。万事私はそういう風。
有名な東北の「森わじん先生」の猫の仏像作品なんかホントに素晴らしい作品ですね。