昨日あるお寺の後継者候補と言う人がみえた。
このお寺は複雑な経緯があり、この後継者候補と目されている方も俗人であるが霊感がありその指導で活動されているという。
問題は仏像の開眼供養を知らないが本などをたよりにしてよいか?と言う話。
住職はもう高齢でそういうことをなさっていないらしい。
当のご本人も健康に不安もあって加行もしていない。
実質在家ということだ。
この状態での密教による開眼供養。
密教の原則からは越三昧耶の罪になるので勿論だめなことはいうまでもない。
ただ、その御寺には密教の系譜がなく、密教の諸尊を祀るのみらしい。
もともと他宗から転向した方が住職だそうだ。
だから密教と考えれば駄目だが、そうでないならもとより私があれこれ言うような筋の問題ではない。
護摩もたかれるそうだが、民間信仰的ないわゆる「お火焚き神事」のようだ。
こういう質問は自分の立ち位置のなんたるかをハッキリ堅持しないと相談者さんの御期待に副うことばかり考えていては脱線します。
そういうのは慈悲ではない。情におぼ入れたり、いい人と思われただけの愚行だ。
したがって、この場合も事情を聴いて気の毒だから・・・特別に教えるなど絶対にしてはならぬこと。
でも・・・仮に開眼作法の次第など読んでも密教の基礎がないならたぶん、分らないよね。
ちなみに護身法は知っていると聞いたが洒水は御存じではないという。
あくまでご本人が今からでもしっかり基礎から学び、四度加行して密教を学んでいくようにお勧めした。
手前ごとにて恥ずかしながら我が母は60過ぎてから加行もし、弁天供100座をし祈祷もした。
この方は40代後半。
だからその気になればできぬ道理はないと思う。