金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

フツーは信仰より家庭が大事に決まってる

稀に講員様宅で宗教が嫌いな人がいてもめる。あるいは別な信仰していて家族同士でいがみ合う。

でも、そこの問題はわたしには関係ないんですね。

私は別に家族に布教しなさいとも言わない。

あくまでその人の個人的問題。

それも自由にならないような家ならもう仕方ないでしょ。

私が口挟むことじゃない。

 私のような天涯孤独の者とは事情が違う。

 

昔多かったけど家族が全員がこの宗教に入らないと不幸になるなんて馬鹿な教え、今時言っている宗教あるのかな。大笑いだね。

昔にそういう相談があったので「それじゃあ無駄だから全員辞めちまえば」といったことがある。

信仰するのがひとりだけなら不幸になるならだれもやんなきゃいいわけだ。

 

それというのも日本には家の宗派というのが徳川時代からあったからそう不自然でないのかも。

 

まあ、もめてどうにもならない場合はどういうか?

 そこも同じ。

「うちなんかやめちまいなさいな。」と言っている。

 

驚く人もいるけど別に求道者でもなきゃ家族や家族の方が大事でしょ。

当たり前のことです。

そういう人がやめても別に残念とも思わない。

実際やめたほうがいいと思っていますからね。

もともと幸せになりたくて来て家庭壊してなんの幸せですか?

在籍してもめ続けても何のいいこともない。そもそも縁ができてないからそうなる。

 

私ってものわかりいいですか?

だがそうじゃない。

これが「求道者」ということならそうはいわない。

女房ならともかく、断固反対なら彼女でも彼氏でも別れてしまえくらいは平気で言うね。

勿論「仏道修行」のほうをやめる選択だってある。それもとめない。

そういうレベルならそんなもの止めるだけ無駄だ。

 

信仰をやるんだって言ってもそもそも自分の勝手でやるんだからね。

 

それが離婚原因にでもなるなら、相手にしてみりゃ他所に女性(男性)作って出ていくのとなにもかわらない。

 

そこまで考えられないという人も多いでしょう。

それでいいんです。

覚悟のある人だけの行く道。全部自分の責任だよ。楽じゃないよ。

さもなくば修行の真似事して求道者気どりでいるうちが花だ。

 

だから、なまはんかに修行だの道を求めるだのアホなことしない方がいいと思いますよ。やめたり、やめたり。

 家庭生活だって十分すぎるほど修行でしょ。