法華経についてラインで聞いてくる人がいた。昔の高校の同級生。
この高校って日教組バリバリだったので「宗教なんて権力が民衆をあやつるため利用した道具」としかいわない。・・・だから宗教なんてよくわからない。
私も同じ高校にいたけど、みなが「そうだ そうだ」と信じることは、逆に「ってやんでえ!」と思うスネものだったので感化されなかった。
この人もなんとなく興味があるだけで仏教を信じる人間が理解不能、不思議なんだろうね。
答えながら思うけど、私だって漠然と信じているだけです。
知ってるわけでもなんでもない。
極楽って本当にある?と言われてもあることになってるとしか言えない。
「ある」と言い切るやつがいたら怪しいから近寄らない。(笑)
阿弥陀様だって法蔵比丘が四十八願立てて成仏したというが、いつのどこの国の誰かもわからない。
そういう阿弥陀様を説明する説話だと思う。
※だから阿弥陀様は信仰しますが、阿弥陀仏がましまさば法蔵比丘の誓願が成就したのだから一切衆生はすでに往生浄土しているなどという理屈が生んだ理屈は信じない。
そんないい加減なことでいいのか!と思う人は理論科学しか知らないからだね。
信仰は理論科学なんか関係ない。理屈から出た真実じゃない。
仏教を説明する理屈があるだけだ。だから仏教を信じることから始めず理屈から始めても何にも意味ない世界。
法華経って誰でも成仏できるの?
そういう質問。
はっきり言えば私は知りません。ほかの全部の質問もそう。
そもそも知っているということすら仏教的に言うなら五感の上だけのあやふやなことでしかない。
大乗仏教は三阿僧祇劫を超えて修行していくという壮大な話、
そのレールに乗る。そういう仲間がいる。
法華経には法華経を信じる霊団がある。目に見えない様々な世界にもある。
もちろん、それは知っているんじゃなく感じるだけ。
ただそれだけ。一口乗るか否かは自分で決めたらいい。
誰にも強制できるもんじゃないしね。
まあ門外漢から見たらただの趣味ですね。信仰は。
私はそう思っている。教団は同行の志のあつまるサークルだ。
お寺は趣味のお店。
そういう仕事があっても悪くないでしょ。
趣味は趣味なりの人もいれば趣味に人生かける人もいる。
それもその人の自由、私の知ったことじゃない。