機械を導入すればいじめがなくなる?
あんまり期待できないと思う。
虐めの背景にあるのは多分に無責任さである。
ネットの匿名のいじめなんか典型だ。ポイントは匿名だということ。
私も匿名の人というのはまともに相手しない。
故に電話の要件も名前もすら言わない電話は切ることにしている。
最初に「あなた、だれです?」というとドン引きして切る人もいる。
手紙に差し出しがないならゴミ箱に即座に放り込む。
聞くなら少なくともそのくらいの覚悟持って聞きなよ。無責任な「チョット聞きたい」という行為で時間を取られ、長々話する義務なんぞないんだから・・・。
虐めに話を戻す。
積極的にいじめるというより日常的にそういう人をからかい、嫌がらせをするという一種の習慣だろう。どれほどの覚悟や気持ちでしてくるわけではない。
大体何を言われ何をされても何の文句もいわない人が徹底的に虐められる。
ズタボロになると庇うどころか拍車がかかり余計よってたかって虐める。
それは魚など見ていればわかる。
人間と魚は違う?いいや構造はおんなじだ。
そういう動物的攻撃本能を制するのが理性や教養というものだ。
それがないなら同じだ。
人は生まれながら人ではない。社会的、道徳的教育を受けてはじめて人になる生き物だ。だから小学校以下の子供は純粋無垢だが、それをして単純に「子供は天使だ」などとは思わない。良くも悪くもむしろ動物に近い。
そして何も抵抗しない人がいじめを助長させるのは、安全に鬱憤や残酷な心を満たしてくれるからだ。
必死に抗ったり、ケンカしたりすればまた違う。
私は虐めに基本、紳士的対応はいらないと思っている。
誰の目にも不当で嫌なことされれば、即座にいきなりぶん殴るくらいでいい。
そうすればその時は大げんかになろうともそれ以上にはならない。
私に子供がいれば必要悪としてそう教える。
後は私が学校に呼ばれるだけだ。
よばれても何の対策もない学校などには頭を一方的には下げない。
動物は嫌なことをすれば嚙む。それが正しいのだ。
噛めばもう相手は不必要には手は出さない。
話し合いなどいじめに必要ない。
どんなことをしても一矢報いる覚悟があるとするなら、相手はただの遊び感覚なら退く。
話し合いは相手をぶン殴ってから初めてできることだ。
その意味で子供の喧嘩には反対しない。暴力も程度問題では否定しない。
この考えは野蛮であろう。だが、真実だ。
故なき虐めは人間の動物的部分の話だからだ。
例えば弱い動物を人間がかばっても、弱いままでは周囲にやられる。かばいきれない。
強くなるしかない。これはいじめも同じだ。父兄だの教師だのが介入しきれない。
本当に弱いままなら隔離するしかない。
宗教家がそんなこと言っていいのかって?
宗教家だからこそ嘘偽りないことを言ってるつもりだけど。