拝むことは別にして実際、時々、この人もしもこうして上げれたら喜ぶよなあ、助かるよなあ・・・と思うことがある。してあげられたらいいなあ・・・と。
足枷、手かせになっているようなことだからこの問題がなければホント楽なのに・・・
と思うが。
でも、霊狐さんは即座に「そういう余計なことを考えるな!」と口をはさむ。
「それはその人間が人生で課せられた問題。それを克服してこそ成長がある。お前が関わってはならぬ。」と言うことらしい。
そういう問題が人生にはある。だれにでもある。むろん私にもある。
霊狐さんの話はそのままアドラー心理学でいう「他人の課題」というのを思い出す。
オーストリアの精神科医・アルフレッド・アドラーによれば、その人にはその人の人生の課題がある。それはあくまでその人のもの。そこに第三者が色々な想いを投影して係ることは間違いという。
仏教的に考えたらこれは慈悲のあり方にもかかわる高度な話だ。
人を助けないというのではもちろんないが助け方の問題だ。
そこを考えたら「祈祷」というのもはあくまで手助けでしかない。
だから師匠からは頼まれもしない祈祷はするなと言われてきた。
こちらから図々しく「救ってあげます」だの
「万事、私におまかせあれ」などということはない。
そういうのはただの傲慢だ。
祈らせてもらう。それだけ。
だからうまくいっても私が威張れる話じゃない。
感謝はご本尊へ。
私は「よかったですね!」というだけのことだ。