金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

不邪淫戒 「時間を愛する生き方」

不邪淫戒

性の在り方を乱すことで「不倫」を代表的なものとします。

世間の人生相談にも多い内容ですが、不倫されている側、している側、双方の悩みがあります。

これも前の「不偸盗」に通じる考えですが、人は自分のものではないのです。

そこに基本がある。

恋愛でも自分の彼だとか彼女とか言うけど自由意志で交際しているので契約ではない。

裏切られたとかいう話も聞きますが・・・人を自分のものにしておきたいというのはドダイ無理な話です。

人と人が恋愛感情で結ばれているのは4年が限度といいます。

そのあとは?

それは自分と相手が共有した時間を愛することにほかならない。

私はこの人とふたりでずっとやってきたんだなあ…という思いを大事にする。

そういうことだと思います。

 

お釈迦様は発句経で「サイの角のごとく一人行きなさい。渇愛の対象になる愛するものを持つな。」といわれました。

まあ、これは性愛の本質を理解した方の話。

そこに我慢も何にもない。淋しさもない。

凡夫はなかなかそうはいかないし、一般の方はマネする必要もない。

 

良く好きな人がいるので祈祷で引き寄せて欲しいという話を聞く。

ワンチャンスで引き寄せたとしてもそのあとの関係性は自分が作っていくのです。

相手と二人で。

関係性が作れそうにないというならすべて無駄なこと。

永遠に人を引き付ける魔法なんてそんなものはないのです。

 

自分の時間を愛することが相手を愛することと同じです。

時間はもう二度と帰らない。

でも中にはどうしても我慢ならないケースだってあると思う。

時間を共有できない。忌まわしいものでしかない。

そういうこともある。例えば強烈なドメスティックバイオレンスとか。

仏教は離婚はカソリックじゃないから悪だとは言わない。

不幸な結果かもしれないけど新しくやりなおすはありでしょう。

 

でも忘れていけないのは相手を愛するこは自分を愛すること。

自分を愛するとはもう二度と戻らない自分の時間を愛することです。

私たちは皆時間軸の上の存在。それを措いて自分はありません。