聖天さまは気前がいい。
最初は「俺の利益はこんなものだ!」とドドンとご利益くれる。
だからそのたびに甘えて祈る。
だけど、どこまで行っても志のない祈り。
単純な自分の欲願だけしか追及しないなら…聖天様の目の色は暗く恐ろしい色に変わる。
祈願の大小は関係ない。質の問題だ。進歩の問題。
そこを勘違いして「ここの聖天さまは最初はご利益あったんだけど最近ダメだわ・・・」とあちこちさまよっても無駄だ。
そういう問題じゃないから。
でもいくら拝んでも初めから何にもご利益ない人はどう考えたらいいのだろうか?
のっけから聖天さまが人となりを見て「お前はもういいかげん、気づかないといけない時期にきてるのだぞ」ということだと思います。
いつまでも前に進めない人に。聖天様は愛想はやがてなくなると知るべきでしょう。