それはいけないと注意されると相手が怒っているのだと思う。
そこで、怒ってはいるわけじゃないというので機嫌良く接すると、今度はそのメッセージが否定される。
それで注意されたことも済んだことと考える脳みその人。
これでは何も学ばない。
同じこと似たことの繰り返し。
修行の指導で強調するため強く言うが怒るということはない。
叱ることと怒ることの違いが分からない。
叱られても、怒られても同じ自己否定されたことになってしまう人に学びは困難だ。
焦点はメッセージではなく、かかる人の基準は常に自己否定と肯定のはざまにしかないのだろう。
こういう人はしまいに多く注意されたらブチ切れる‼
自分を否定しまくられていると思ってしまうからだろう。
実に気の毒な人だがそうなればもう相手はできない。
仏道修行以前の問題だ。
いつもニコニコと注意するときも幼稚園児をなだめるように教えればいいのかもしれないが、そんなものは修行というしろものではないだろう。