観無量寿経疏を書かれた善導大師は極楽浄土を感見したという。
そういうのを「三昧発徳」という。
法然上人は「ひとえに善導による」と言われたのも善導大師のその体験あったからこそだろう。
どこだかでその三昧発徳を一週間で成就させるコースがあるので行ってみたいという講員さんがいた。
「どうぞ、かまいませんが、うちはやめて行ってくださいね」と言っておいた。
そうしたらそこに行くのを辞めると言ってきた。
浄土系の諸大先徳方が命をかけた修行で感見したものをそうたやすく見られると思う方が浅はかだ。
まやかしでしかないと思う。
私がたとえそこに参入し極楽浄土みたいなものを体験したとしてもその主張はいささかも変わらない。
私のやわな五感が作り出した幻覚、まやかしだ。
有難いものなどない。狂った脳があるだけだ。
そういう主張は諸大先徳を冒涜するものとして断固否定する。