金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ある信仰問答

学生のころ、「宗教なんか絶対信じない」という人がどういうわけか、話をしたいと言うので話したことがある。相手は二つくらい年上。よその学生さん。

のっけから「僕は絶対に宗教とか信じない。だけどね。君は信じてるんでしょ。それって君から見たらどう思う?」と挑戦的。

「どうも思わない。」というと今度は

「え、でも宗教って人に広めなきゃいけないんでしょう?」

という。

 

「別に無理に広めようとしてて広まるもんじゃないし、興味のない人にひろめなきゃいけないとも思わない。」といったら少し驚いたようだった。

 

「フ~ンじゃあ人のことはどうでもいいの?」というので

「そうだね、それに関してはどうでもいい。私は人のためにやっているわけじゃないのでね。そもそも、あなたがなにを信じようが信じまいが何の興味もないですね。」

 

「そういう考えいけないんじゃないの?」

 

「どうしていけないというのです。何の立場でいけないというのですか。」

 

「・・・」

 

そうしたら今度は話を変えて

「密教だっけ。その宗教が正しいという証明はどうしたらできるの?」

 

「できませんね。そもそも、そんなにくわしくないし。まだ圧倒的にわからないことの方が多い状況です。」

 

「じゃあなぜ信じてるんですか。」

 

「ウ~ン信じる生き方をしたいからかな。わからないから知ってみたいというのもあるかな。」

 

「それてっただの思い込みじゃないですか?」

 

「そうですね。そういうならまあ、思い込みですかね。」

 

「そんなやふやなもの信じてるんだ?」

 

「そうそう、そんなあやふやなもの信じてるんですよ。」

 

臆面なくそう言ったら一挙に表情が険しくなった。

 

「僕には絶対無理だ‼」

 

「ああ、そうなんですね。」

 

「そうだよ。信じられない。そもそも君は何のために勉強してるの?」

 

「まあ、興味ある分野だし、入った以上、大学出ておきたいからかな。」

 

「そんなの意味ないな。君の考えは学問になっていない。」

 

「別にあなたの人生じゃないから私の思う大学の意味はどうでもいいんじゃないの。

第一、学問というほどのことは僕もなんにも考えてないですから、」

 

そこまで言うと、「そろそろ帰る」と言って相手は帰った。

 

コーヒー代は奢ってくれました(笑)

彼は後で紹介者に「時間の無駄だった」といったとか。

私を言い負かしてへこましていれば無駄じゃなっかたのか。

そういう考えの方がよほど無駄と思うが・・・

結局同じ土俵で相撲が取れなかっただけでしょ。とるもんですか。バカバカしい。

でも今もってこのスタンスは基本的に同じです。

 

宗教は弁証法や科学実験のようなものとは違う。同じ土俵には立てない。

キリスト教と違って東洋の諸宗教とりわけ仏教は特にそうだ。

違うからこそ価値がある。