なん人かの修行者を見ていると稀に「これは以前も密教やってるな・・・」と思うひとがいる。
以前というのはこの世のことではない。前世のことだ。
そういう人間はもともと次第を知っているように読み進む。
だからやりだしたら早い。
前世で何をしくじったかやり残しがあるのか。それとも今世でも前世同様の修行がしたいだけなのかそれはわからないが・・・。
別にだからどうということではないが、まあ一応キャリアということだろう。
仕事もキャリアができるとは限らないから、いずれにしても精進努力以外してもらうことはないのだが。
密教ではないが私の母なども観音経を初めて読んだ時、これ知っているという不思議な感覚があったという。
前の世でも観音信仰していたのかもしれない。
それがためか、母の法事でもお導師が何を思ったか、自然と観音経を読んでくれることがあった。
天台の法要なら普通は自我偈か、阿弥陀経だ。観音経はどちらかと言えば祈願だ。
お導師に訳をたずねてみたら「何となく観音経がいいように思ったのでね」とのことでした。