昔のテレビアニメシリーズの「新世紀ヱヴァンゲリヲン」でネルフの葛城ミサト一尉が猫好きの赤木リツコ博士にあなたは「人間関係」を猫で誤魔化しているのだ!といいはなつ場面があった。
なるほどね。人と暮らさず猫と暮らす人はそういうふうに思われているのかな?とその時は思った。
人の代わりに猫。
まあ、そう思いがちな人もいるだろうが、いかにも猫を飼ったことのない人間らしいなと思った。
葛城ミサトは温水ペンギンは飼っているのにわからないのか・・・ね
むろん猫は猫だ。
人の代わりにならない。
他の犬や鳥や爬虫類、猿、キツネ、こうもり、カエル。なんでもそうだ。
彼らは人ではないから人が与えてくれる複雑な関係はそこには生まれない。
良くも悪くも。
逆に極端に擬人化するのは彼らからしてみればすこぶる迷惑な話だ。
こういう人こそ実際ペットで、欲しい人間関係を誤魔化し、紛らわしているんだろうね。
人と人の間には人間ならではの他では得られない大きな喜びも生まれるだろう。
だが同時に時には命さえ奪うようなこともするのも人間だ。
猫や犬や動物にはそれはないね。
彼らの行動は大概は把握できるからだ。
遊んで欲しいはあるがそのほかは体調や環境やエサのことがほとんど。
彼らに嘘やごまかしはない。そのまんまだ。
だから安心して付き合える。
そのまんまゆえに人間相手のようなサプライズはないが。
どちらがいいかなどという低レベルの話をしたいのではない。
犬も猫も良く悪くも人間の代わりにはならないということだ。
同時に良くも悪くも人間に彼らの代わりもつとまるものではない。
彼らのくれる安らぎもまた人間からは得られない。
人間の代わりに猫で誤魔化すというのは人間もそして猫も知らぬもののいいようだ。