コロナですっかり人と接しない日々が続いたためか、お参りがないのになれてしまってよくないな・・・と思う。
迎える側もそうなら来る方もそんな感じだろう。
信仰の基本はお参りだ。
日頃全くお参りもせず、困るとなると人の都合も押して吹っ飛んでくるのは嗤えるね。
確かに電話で済む用件ならお互いそちらの方が楽だ。相手も私も。
だが信仰とはそういうものではない。
相談も本尊様の前と決めている。
なので占術家ではないので祈祷の出張はしても占いの出張はしないと決めている。
建物や土地など自体を見て欲しいという場合は別だが。持ってこられないからね。
だから電話での相談も極力しない。一回お参りに来た話の続きなんかは別だ。
結局、突然何かしているところにかかってくるので両方中途半端な気持ちで行うことになる。
以前、知らない方から九州なので電話で相談したいという人がいたが、だったら近所で直に相談できると近所のところを探しなさいと言っておいた。
まあ、でもよく観察すると祭礼などは本当は来る人は本尊に呼ばれているのだと思う。
自分の都合で来られないだけではない。来られる人は来られる。
来られない人は来られない。相談もお参りも同じ。
そんなもんだ。
そう考えれば来ないからと言って私がどうこういうこともない。
呼ばれてないのだからしかたないだろうと思う。(笑)