金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「副」ということ

金剛部は降伏相応の尊でその法は下成就ということが三部の大経の一つ「蘇悉地羯羅経」には出ている。

息災を上成就とし、増益を中成就という。

降伏が下成就なのは中医薬と似ている。

 

効き目が激烈な薬は長く用いてはいけない。

いうなればこれが下薬だ。

だから特効薬の多くは実は下薬である。

それなら上薬だろうと思うのだろうが違うのだ。

なぜなら下薬には「副」というものがある。

「副作用」のことかと言えばそうなのだが。目に見えるような「副作用」があろうとなかろうと必ず「副」はあるという。つまり認識しないレベルでもあるのだ。

 

降伏祈祷にも必ず副がある。必ずカルマを傷つける。

 

無論、蘇悉地経の意は破邪顕正の義でいわゆる呪詛ではない。

正しきに是正するための戦いであっても戦いである以上傷はつく。

だが、その降伏祈祷は多くの場合は明王配下の狂暴な鬼神の働きがあるので、どうしても荒事や凄まじき事は周囲に起きやすい。

逆にそういうものがどんどん集まらないような降伏祈祷なら効き目はないだろうと思う。

 

誰でもたやすく自分は無傷でいて楽々と怨敵を自在にやっつけられるようなものではない。

戦さを仕掛ければ向こうからも矢玉が飛んでくるのは当たり前のことだ。

しかしてこちらが矛を収めれば向こうもやめるというものとは限らない。

だから肉を切らせて骨を断つ覚悟のものだ。

だから必要中の必要でない限りしてはならぬというのはこのためでもある。

たとえなんらかの屈辱にあってもそんなものは六波羅蜜の忍辱修行であり降伏法など用いる理由にならない。

だからどういう場合も息災でいいのだというのがわが師の教であった。