祈祷本尊と自分の間に大眷属がいることを認識するのは祈祷をしていくうえで重要だと思う。
自分の場合は霊狐さんたちがいてくれるのでだいぶ楽だ。
常に相談しながらすすめていく。
自分のつまらぬ欲や見栄が出ればいさめてもくれる。
「おいおい。それはダメだろう」と。
もちろん、相談してもどうにもならないこともあるが、そんな時は暗い顔をされる。
「まあ、様子を見るしかあるまいな・・・」と。
「バカも大概に言え!普通は気が狂ってでもいなけりゃそんな訳わかんないものと話しなんかできないだろう?」というかもしれないが、話せなくても耳を傾ければ十分だ。
「どうです?」と常に「聞く心」には「答える心」も存在するのだ。
まあ、そうはいっても客観的には自問自答と何も変わらない。
自分が考えていると思わぬだけのこと。
まあ、私自身は私の考えと思っていないが。
こうした指導的眷属がいることで自分と本尊の間にワンクッション措ける。
深く悩むところも一人で悩まず声を聴く。
今や、天涯孤独に近いが、このゆえに私は常に孤独はあまり感じない。
勝手にドンドンしゃべってくるのは違う。
それは多分に魔類か、心を病んでいるのだ。
四六時中聞こえるなどと言うのは完全にアウトだ。
それを相手にしてはダメ。
精神病になる。
正眷属さんは言葉は少なく、日頃、よけいなことはいわないものだ。
人間同士でも夫婦であれ、友人であれ、親子であれ、本当に深い仲なら以心伝心でむしろ言葉は少ないだろう。
相手の雰囲気だけで意思はわかる。
そういうものだと思う。