一昨日、叡山の大徳がまた一人亡くなられた。
私の師匠とも懇意の方だった。
師匠と同じく四国のご出身と聞いている。
人は亡くなるものと分かっていても淋しいものですね。
近くは弁天修義や浴酒法、双身毘沙門法など多くをお授け頂いた善光寺の前貫主様。
二代にわたりお世話になった双厳院様
とりわけ、師匠と同世代の高徳がなくなると。そのたびに何度も師匠がなくなったような追体験の気持ちさえする。
亡くなることは人だけでなく、身近なら猫でも犬でも魚でもなんでも悲しい。
釈尊でさえ舎利弗、目連のような身近な仏弟子が亡くなった後は非常に鬱々とされ。その悲しみを言葉になされたという。
それが人というものだ。
舎利弗は釈尊の後継者とされていた優秀な弟子。目連は神通第一で知られた弟子だった。ともに釈尊に入門した人だ。
無常の闇は人を選ばない。
生老病死の四つを正面から受け止めることから仏教は始まっている。
北鎌倉 円覚寺 長老様の法話から