金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

不都合な水槽の気づき 

ここ1年くらいずーっと水槽の件で頭を痛めている。正直言ってもう湯水のようにお金もかかるし、とても楽しむどころか苦痛でしかない。

何でもなくても、それは次にどうなるかわからないからといつもいつも戦々恐々だ。

いっそたたもうかとも今の今でも本当は思っている。

 

見回してみると水槽にはいつも心配がある。魚の健康、組み合わせ、水質、器具の不備、管理の不備等々、

だから休まらない。水槽見てのんびりとなんかはいかない。

どこかおかしくないかと目を凝らすだけだ。

だがそれが学びなのだとやっと気づいた。

そもそも水槽眺めてくつろぐだけなら水族館に行くべきだね。

犬や猫飼っても同じだ。病気も心配もある、悪い癖の子もいる。

小鳥でも金魚でもめずらしい生き物でも全部一緒だ。

植物でも同じだろう。だから絶えず手入れする。

もっと言えば人間関係だって全部そうだ。

たぶん家族や恋人もそうだし、子供も同じだろう。

常に心配し悩まないとならない。

だからいないほうがいいのだとも必ずしもいえまい。

ま、そこはその人の価値観だろう。

 

そう思えばこの水槽は私自らでもあるのだ。

天から降ったのでも地面から湧いたのでもない。私自身が置こうと思って置いたのだ。

常に問題や、課題は限りなくある。今もある。たとえ今なくても明日にはある。

あすなくても明後日は分からない。

少しばかり喜びに山ほどの現実の苦労やわずらわしさがある。

楽しさや好きだからそこを忘れているだけだ。

皆概ねそんなところで生きている。

考えれば実に愚かなことだ。

でもそれが人生だろう。

他に人生などない。

「不都合な水槽」はそれを私に教えてくれた。

だからドンなに不都合でもたたむのはやめておこう。

人生は不都合でもたためないから。