ここ1年くらいずーっと水槽の件で頭を痛めている。正直言ってもう湯水のようにお金もかかるし、とても楽しむどころか苦痛でしかない。
何でもなくても、それは次にどうなるかわからないからといつもいつも戦々恐々だ。
いっそたたもうかとも今の今でも本当は思っている。
見回してみると水槽にはいつも心配がある。魚の健康、組み合わせ、水質、器具の不備、管理の不備等々、
だから休まらない。水槽見てのんびりとなんかはいかない。
どこかおかしくないかと目を凝らすだけだ。
だがそれが学びなのだとやっと気づいた。
そもそも水槽眺めてくつろぐだけなら水族館に行くべきだね。
犬や猫飼っても同じだ。病気も心配もある、悪い癖の子もいる。
小鳥でも金魚でもめずらしい生き物でも全部一緒だ。
植物でも同じだろう。だから絶えず手入れする。
もっと言えば人間関係だって全部そうだ。
たぶん家族や恋人もそうだし、子供も同じだろう。
常に心配し悩まないとならない。
だからいないほうがいいのだとも必ずしもいえまい。
ま、そこはその人の価値観だろう。
そう思えばこの水槽は私自らでもあるのだ。
天から降ったのでも地面から湧いたのでもない。私自身が置こうと思って置いたのだ。
常に問題や、課題は限りなくある。今もある。たとえ今なくても明日にはある。
あすなくても明後日は分からない。
少しばかり喜びに山ほどの現実の苦労やわずらわしさがある。
楽しさや好きだからそこを忘れているだけだ。
皆概ねそんなところで生きている。
考えれば実に愚かなことだ。
でもそれが人生だろう。
他に人生などない。
「不都合な水槽」はそれを私に教えてくれた。
だからドンなに不都合でもたたむのはやめておこう。
人生は不都合でもたためないから。