「家によくない因縁があるから僧侶になりたいんです。」という要望は、他に見るべきもの無い限りまずお断りする。
施餓鬼や供養に励めばよい。仏教を学び修行すること自体は拒否しない。
大乗の菩薩道は家系の掃除などというチマチマしたつまらぬことを目的にあるのではない。
上求菩提下化衆生だ。
家系がどうこうは一種の自利の範囲だ。
一人出家すれば九族が天に生まれるというが、九族天に生まれるためにするわけじゃない。
本当にそうなら、それは修行の徳が積めて自然にそうなるのだろう。
そもそも釈尊でさえ親類間の争いで実家が攻め滅ぼされるのを防げなかった。
三遍も攻めないで欲しいと相手を諫めた。
家が滅ぶのが家系の因縁というなら釈尊でさえ防げなかったわけだ。
目連尊者が神通で戦いを妨げようとしたがそれもやめるように言った。
そんなことで最終的にどうなるものでもないからだろう。
因果がどうこうで終始するのは未だカルマ論の域を出ていない。
仏教だけでなく、これはインドの宗教の基本だ。
むしろ仏教はその個のカルマから離れる道だ。
信仰のない仏教学はどこまでやっても戯論だ。